3代目三遊亭 圓歌 「電報違い」3代目三遊亭 圓歌(1929年<昭和4年>1月10日~)
戦時中に鉄道学校に入り、学徒動員で国鉄職員として新大久保駅に勤務。
1945年(昭和20年)9月に三遊亭円歌(二代目)に入門。前座名「三遊亭歌治」。
1948年(昭和23年)4月に二ツ目昇進で「二代目三遊亭歌奴」を襲名。自作の落語「授業中」で人気を得る。
1958年(昭和33年)4月に真打昇進。
1967年(昭和42年)5月11日、天皇の御前で落語を披露。
1970年(昭和45年)10月に「三代目三遊亭円歌」を襲名。
出囃子は『二ツ巴』。
1985年(昭和60年)4月に日蓮宗の僧籍に入り、後に入門許可書とも言うべき「度牒」の交付を受け、本遊院円法日信(中沢円法)を名乗る。
お寺での修行中に心筋梗塞で倒れて一時入院するが、無事に回復。
1996年(平成8年)5月より五代目柳家小さんの後を継いで落語協会会長を務める。
2006年(平成18年)6月に落語協会の会長職を勇退し、最高顧問に就任。後任の会長は鈴々舎馬風(五代目)。