「脱亜論」 福沢諭吉今から125年前の論文とは思えないほど、現代と一致している。逆に言うと、その時代となんら変わっていないということでもある。
これが書かれたのは明治18年(1885年)、つまり125年前である。当時の日本にここまで本質を見通せる賢者がいたことに感動すると同時に、125年前の福沢諭吉が「シナと朝鮮の民族性は"昔から"変わってない」と述べている点に注目したい。
そう、"今も"同じなのである。いや、むしろ今のほうが厳しい状況なのかもしれない。日本の弱腰の外交姿勢、弱者には手を差し伸べる日本の国民性、敵にまで礼儀をつくす武士道の精神、道義国家たらんとすることによる融和政策、また日本は敗戦国であり政治的に弱体化している国家体制......。。
どれをとっても彼ら支那朝鮮からみれば工作し放題、彼らの実利的な国益をむさぼり放題のカモでしかないのである。
『時事新報』1885(明治18)年3月16日
惡友を親しむ者は共に惡友を免かる可らず。我は心に於て亞細亞東方の惡友を謝絶するものなり。