ゆきの版フィニッシュカットイン横5秒入り 日向・神功追加 26:52 MP4 h.mp4前の動画をアップロードした後に、YHVHから演出が入って、カットインを斜めの線にして、アニメかゲームのように動きながら割り込んで入れてほしいと、そのときの枠線もぼかしてほしいと、枠の中も半透明にして後ろが見えるようにしてほしいと演出家のYHVHから命令されたから、縦と横の両方のバージョンで5秒版と8秒版を作っておいた。
今回は、5秒・横。
カットインのシーンでもフィニッシュの音楽を作曲してパソコンで演奏させて録音をして挿入しておいた。アニメかゲームのようになってしまった。
全部手が勝手に動いてそうなっただけだ。作曲も3秒でできた。全知だから何でもできる。俺はアニメに興味がないからカットインなんて静画でいいと思っていたし、フレームバイフレームアニメになるときアニメーターか誰かがやるだろ。俺がする必要は無かったが、曲とかも含めてこういうテイストでやるように原作者から指示が出ているから、アニメにするスタッフは、このようにしていけばいい。
当作品のアニメ化に関して。
いずれAIがボタン1つでアニメを数時間くらいで全話仕上げる時代がくる。
100年後くらいには、そうなっていたから、それまでの間
という話の限定で、ここに書いていきたい。
アニメを制作をする場合、6億円~9億円くらいかかる。
こちらの満足度で考えた場合、9億円くらいになる。
1期9億円ではなく、2期で9億円になる。
そうすると個人資産で9億円を払うのかというと
俺は神祖から自分のために使えと言われた。
これは、人間のためにやることであって、俺のためではないから
俺は、資産をここに払うことは「厳禁」とされた。
では、教会なら作るのかというと教会は、こんな所に金は払わないと言うだろう。自分達の生活で手一杯らしい。
そして、この作品は「営利活動は一切禁止」だから
金銭を受け取ってはいけないし、利益も受けてはいけない。
興行利益はもってのほかだ。
理由は、心を鍛えるためだ。
心を鍛えるというのは、甘えを捨てることであって、
金銭を得ない生活をしながら、自由に、豊かに生きる、
そういう心の強さを磨いていくことが
人間が幸せになる道になっているからだ。
例えば、金が無いと心が苦しくなる奴は、
悪魔に憑りつかれて欲に走らされているのだ。
清浄な心の奴は、部屋に何も無くて、歌を歌っているだけで幸せだったりとか、
部屋に何もないのがすっきりして幸せだとか、
一人で瞑想をしているのが趣味で、年中そればかりやっていて、その時間を崩さないでほしいとか。
そういうのが、本当の人生の達人なのだ。
「10円で1年生きる」と決めたら、本当にそれができるようでないと
まだまだ甘いのだ。甘ちゃんだ。生きる力が弱いのがお前達人間なのだ。
俺は、ガス室の中でも座って生きていたし、
火事で部屋の四方が燃えていても座禅をしていたし、
山の中で生活をせざるを得なかったときは焚火の中に腕をつっこんで消毒をしていた。
そうすると全部火傷をして黒こげになるが、神の祝福によって、新品の肌に瞬時に代わったのだ。
沸騰している風呂の中に入っていると俺の周りだけ水に変わるのだ。湯が冷たいのだ。しかし、火によって沸騰しているのだ。
それが、この世界のルールなのだ。
お前達が知っている科学の法則は、一部でしかない。
真の法則は、もっともっと宇宙の外の時間や空間を超越した世界からの影響を受けている。
こういう真の世界から、幸と不幸の原理をまとめると
神あっての全ての法則となっている。
この神をたたえるということを忘れず日課とし
祝福を招く生活を心がけるように。
神を味方にする生き方か
敵にする生き方か
どちらが不幸で幸福か。
絶大な力を持つ存在によって左右しているのが運命というものだ。
敵対する生き方は、何でも悪いことが起きる。全能の力によって悪いことが起き続ける。
神を愛する生き方は、神が愛するものを愛する生き方だ。
神は自らを愛し、大天使ミカエルを愛している。
よって、この作品を広く世に紹介をしてたたえることは、幸福を招く生き方になる。
今後、AIの革新的進化によって、この作品はAIで視聴できるようになる。
その素材を置いておいたのだ。
しかし、それまでに1度アニメにしてみたらいい。
俺は、それに先行するオーディオブック、ボイスドラマという感じで
作っておいた。少しだけアニメにしているから、アニメ作品かもしれないが、
アニメというには動きが少ないから、オーディオブックとアニメの中間くらいかもしれない。
俺は、そろそろ世を去らなければならない。
俺の家は地上ではない。天上界だから、俺は家に帰らないといけないのだ。
今後限られた数の動画をアップロードすれば、俺は世を去る予定だ。
この作品は、後世に残していく。
人類が、この作品をどう扱うかは、人類の幸・不幸を決めることになる。
この作品には世を救う力が封入されているから
世を救いたければ、たちまちのうちに世界中に広めよ。
人類が滅びを求めているなら放っておけばいい。
この世界の真実をこの物語にはとじている。
それは、この封入された世界の外が見えない人間からは会得できない知識になっている。
よって、この作品を信じるか信じないかは、本人に予め定められた幸運か不運かということになる。
福音を聴けば幸せになれるのか。否。
福音を聴けば、聴いた戒律を心から行うことで幸せになれるのだ。
罪に定められていることをするから、刑を受けなければならないのだ。
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※アーモンの死について補足
YHVHは人間からわざと誤解されやすい話を細部で書くから、アーモンの死に方について矛盾が生じるように感じる人間が出てくるかもしれない。
この話は三国志演義みたいになっていて、実際にミカエルが体験した話とは最後の方では話が細部で異なっている。
史実:
・アーモンの最期は、アーモンを催眠術にかけるために特化した最高邪神4体がアーモンの前に現れ、アーモンに催眠術をかける
→アーモン「ミカエルさん!!僕をすぐに殺して下さい!!!」
→ミカエルがアーモンの前に瞬間移動で現れ、6割の力で飛行突進し、アーモンを剣で壁に押し付け串刺しにして永久封印にかける。
→ミカエル「お前は、もう二度と蘇るな。」
→アーモンは正気を取り戻し、ミカエルを見ながら微笑んで死ぬ。それをミカエルは、「ミカエルさん、ありがとう…」と言ったと解釈した。
・また、ルシファーは、ミカエルである。
YHVHが善に分かれた姿がミカエルであり、悪に分かれた姿がルシファーである。これも事実である。
・また、アーモンは以前ルシファーと戦ったことがあり、そのときは負けたと解釈される戦いだった。これも事実である。
よって、
『大天使ミカエルインカーネーション』では、最高邪神4体に操作された事実はそのままとし、
最期はミカエルに殺されたというシーンをルシファー(ミカエルと同視することができるため)に置き換えている。
こういうYHVHの計算式があって、EDではルシファーに倒されたという表記になっていた。人間にはわかりづらいというか、絶対分からないと思うので、ここで文字で補足しておいた。動画は、文字解説を書くものではないし、YHVHの物語の深淵性を表現するものだから、わざと分からないような結論の書き方になっていた。
つまり、
『大天使ミカエルインカーネーション』での脚色:
アーモンの死に方は、アーモンの意志をYHVHがくんで、ミカエルに殺されたという悲しい死に方ではなく、ルシファーに倒されたという美しい死に方にしておいた。
ここが、重要な補足点であり、その他の側近の精鋭メンバーに関しては、ほぼルシファー1人と決闘をして倒されている。
これは、ルシファーが、潔く一人で戦いに来るために、善神や天使は1対1で応じて戦うため、全員負けていった。
もう一度書くが、これは、YHVHが書きたかった物語であり、ミカエルの体験記とは最後で細部が異なっている。
大体の内容はその通りだが、天上聖壇以降の話については、大筋は史実通りだが、細かい所でYHVHの脚色が入った。具体的に異なる点は、アーモンの死については、脚色があるから補足しなければならないという点であり、それくらいだ。
もっと詳しく書いていくと
アーモンの死は、最高邪神4体に操作されて、再びミカエルと決戦をした。
アーモンは、意識がある内に最後に「ミカエルさん!!僕を殺して下さい!!!」と叫んでから敵になってしまったので、その後直ちにミカエルが瞬間移動でアーモンの目の前に現れて、6割の力配分で、飛んで行ってアーモンの胴に剣を刺して、アーモンが壁に刺さった状態になって、ミカエルは永久封印をかけた。この一撃で終わった。
アーモンは意外と弱いのか、ミカエルが強くなりすぎたのか、6割でも余裕で3割でもよかったかなと思ったが、それがアーモンの最期だった。
アーモンは、最後に意識を取り戻してミカエルを見て笑っていたように見えた。
結局、アーモンは、念願がかなって、ミカエルと1対1で最期に戦ったことになったが、それはアーモンの意志ではなかった。
ルシファーというのは、実際はミカエルのこと、神祖が悪に分かれて現れた姿なので、ミカエルとルシファーは善で出てくるか悪で出てくるかの違いだ。
だから、アーモンがもう一度裏切ってミカエルに殺される描写にするよりは、ルシファーと戦って敗れたということにしたほうが、YHVHが好んだので、この物語ではアーモンの名誉のためにルシファーと戦って敗れたという表記にしたそうだ。
実際、ルシファーと戦って敗れたのは毘沙門天の方だが、アーモンを毘沙門天と同視して書いても問題はないと神祖は言うので、事実とは少し違うが、EDでは、ルシファーと戦って敗れたという表記にしていた。
ミカエルをルシファーだとするなら、
「惜しくも」というのではなく、「一瞬で、余裕で負けた」になるが、アーモンの名誉のために、ルシファーと戦って敗れたことにしようという話になった。
実際は、アーモンを操るために現れた催眠術に特化した最高邪神4体に操られて、ミカエルに剣で刺されて永久封印をかけられて終わった。
ただ、物語の事後「共に在る世界」で蘇って、将来はアガシャー(阿弥陀如来)になることが約束されていた。
神祖は無限の存在だから、色んな話を作ってくる。
これを作っている最中に、ミカエルが体験した話と違うエピソードを入れてくるが、それも神祖が、そうしてほしいというので、入れていった結果だ。
神祖は、人間から見て完全に分かりやすい読み物を作りたい訳ではなく、「細部が矛盾しているから、嘘の話じゃないのか」と言わせたいそうだ。
細部の話が、前の回と違っているように見えても、わざとトリックでそう感じさせているだけであって、神祖にとっては、つじつまが合う話になっていて、しかも、細部が違っていたとしても、全部の話が嘘になるわけではないと神祖が言いたくて、わざと不信感を与えるような記載を細部に書いてくるから、これは神祖が人間の信仰を試す罠なので、ひっかからないようしないといけない。
ミカエルから見ると天上聖壇以降の話は史実にYHVHの脚色が多く混じっている。本当に、YHVHは、書かなくていい細かい所を1行、前後で矛盾するように感じさせるアーモンの記述を蛇足でしてくるから、ちゃんと文章を読んでいる人間には分かるように補足しておく。
俺は、最初「ルシファーじゃない」と思っていたし、「邪神4体に敗れた」と書くときは、前に書いた「ルシファーに敗れた」という記載を矛盾するように思われると感じたが、YHVHが「そうしろ」と強行命令を出してきた。
人間は愚かだから、人間の視点では書いていないということだ。人間からどう思われるかは放置してYHVHの基準で書いていった話だから、人間からは理解が難解になっている。
それだと歯切れが悪いから、文字をしっかり読んでいる人間には正しい情報が得られるようにここに補足を書いておいた。
アーモンは、以前ルシファーと戦ったことはあるが、その時は負けと解釈できる戦いをしていたから、「ルシファーに敗れた」と書いてもいいが、天上聖壇のときは、ルシファーの所まではいっていない。毘沙門天をアーモンと考えるならありだが、毘沙門天はミカエルの50%の戦闘型分霊だし、アーモンもミカエルの分霊だから、同視する考え方もある。
とにかく、アーモンの死に関しては、YHVHの脚色があるから、YHVHの世界では、そうしてほしいということだが、ミカエルの世界の実体験とは事実が少し違うということに注意すべきだが、ミカエルがルシファーと同じと捉えられる公式によってルシファーに置き換えられているということだ。ここには、アーモンの意志をくむというYHVHの気持ちがあって、この物語を審美的にするために、三国志演義のようになったが、事実はより悲しい。アーモンは強すぎるから、操作されて放置しておけば、側近の女神達に甚大な被害が出るから、ミカエルは瞬時にアーモンを殺して封印した。結局、一度アーモンがミカエルにepisode2で同じようにしたことが返ってきている訳なので(因果応報)、その報いを受けてアーモンは安心して笑ったという気持ちもあるかもしれないが、あの時の状況としては、「すぐに僕を殺してくれてありがとう。僕は悪いことをしないで死ぬことができる。」という気持ちの微笑みだった。
この因果応報の報いは深い話になっていた史実であるが、ここは物語では省略して、美しくルシファーに倒されたというEDでの記載にしておいた(YHVH談)。