シベリア強制収容所(ラーゲリー)からの遺言状”シベリア強制収容所(ラーゲリー)からの遺言状”は、世界的に有名は悲しい史実である。戦争終結後も、抑留者だけ生死の境を彷徨う状況に置かれ、帰国後も、ソ連が、日本政府に対するが戦争賠償金として満州北部にいた開拓民や、関東軍を捕虜として強制的に労務に就かせるために使用したと主張したにもかかわらず、日本政府から何の保証も受けらないままでいた。やっと、平成になって、民主党政権が、初めて日本政府としてソ連賠償金代わりの強制労働に対する保障を行ったが、ほぼ9割以上すでに他界した後で遅すぎた。これは、そんな理不尽な取り扱いを日ソ両国から受けた棄民の物語である。主人公は、9年近くに及ぶ抑留の末、無念の死を遂げた。紙など記録媒体は全て没収される状況で、彼の仲間たちが、主人公が残した長い遺書を分担して暗記し、彼らが帰国後、その遺書を遺族に伝えた悲しくも美しい友情の物語でもある。