ニューギニア戦「地獄の日本兵」(飯田進)によると、23万人中約21万人戦死(死亡率9割)したとされているが、圧倒的に死亡原因は栄養失調による餓死、病死であったと証言している。その背景は、以下の通りで、全員が死していてもおかしくない状況である。それでも、東条の戦陣訓を現地派遣兵に押し付け、みすみす無駄死にさせた当時の軍幹部への責任追求ができなかった日本が情けない。とうとう、あの戦争は聖戦だと言うばか者が増えている始末である。戦後、右翼官僚が文部科学省の実権を握り続け、更に、右翼・戦犯を議員として抱えていた自民党が政権をずっと握っていたのだから、戦前の戦争が正しかったと言うプロパガンダが国民の隅々までいきわたったせいであろう。それでは、どうして派遣された兵士の大半が餓死したのだろうか。その理由は以下の通りであろう。 物資と補給能力が乏しかった日本軍では、短期決戦を重要視した戦略の基本だったため、食料などの物資の補給は、もっぱら現地調達だった。しかし、日中戦争と違い、人家や田畑が少なく、ジャングルが広がる南方戦線では、食料を徴発することもできず、獲得するのに苦労した。ニューギニア戦線での各部隊の任務としては通常の兵隊業務に加え、耕作や食料採取が任務となっていた。ごく短い期間のみ戦闘携帯食(紙袋入りもち粉、乾麺包、砂糖、内容240グラムサイズの魚および牛の缶詰、麦飯、粉醤油、粉味噌などの即席食品類など)を主として、補給がされないまま少量のコメ、さご椰子澱粉(幹から採取する)、タロイモなどのイモ類、椰子の実、バナナの果実類は言うに及ばず雑草を糧とし、他にヤモリ、トカゲ、コウモリ、ワニ、ノネズミ、ヘビ、イボガエル、モグラ、ノブタなどの動物、ゲンゴロウ、トンボなどの昆虫を採取していた。特にヘビ(サシミ・串焼きなど)、ワニ(鉄板焼き)、イボガエル(スープ・肉フライなど)、ノネズミ(丸焼き)、ノブタ(丸焼き)などは希に採取される機会がありスタミナ食として珍重されたという。戦闘末期、海上封鎖によって、物資の補給が途絶えると完全に自給自足の生活を余儀なくされた。また、地域や部隊によっては、個人的な原住民の交流などから真水や食料の取得方法を教えてもらうケースもあった。