ブーゲンビル島へ配置された一兵士の証言日本軍はブーゲンビル島(ソロモン諸島の一部)「ボーゲンビル島」としばしば表記していて、1942年3月に占領した。日本軍の陸上兵力は陸軍が第17軍第6師団を中心に4万人、海軍が第8連合陸戦隊と設営隊を中心に2万人が配備されていたが、砲火力が低く対戦車装備も不足していた。駐屯部隊は二度の大きな交戦で敗退。このとき、アメリカ軍第37師団長ロバート・S・ベイトラー少将は降伏しようとする日本兵を捕虜とせずに射殺するよう命令し、多数が虐殺された。これは、アメリカ史を汚す大汚点である。残った兵士達は、補給がまったくないまま、自給自足(主に畑つくり二従事して飢えをしのいだ)を強いられ、多くの兵士達が飢えや病でなくなった。南方の島々での死亡原因は、8から9割が餓死・病死で、戦闘で死亡した割合はごくわずかであった。特に60万人近く投入されたフィリピンでは、極端な食糧不足で、同国人の遺体の人肉を食して生き延びる事態まで陥っていた(フィリピン敗走早期記・石長真華)。派兵した兵士が全滅しても戦争を遂行しようとした当時の軍トップは無責任極まりないかキチガイのどちらかであると言える。今回のように、当時の事を伝える勇気のある方々がもっと声を上げる事を期待します。 追伸;服部卓四郎ら軍幹部・日米開戦時の作戦参謀だけが、部下を見殺しにして生き延び、将官の多くが戦犯になり、下士官や兵はシベリア抑留や傷病に苦しんでいる時に(彼らだけが外地からGHQの「特別指令」でいち早く復員し、平穏な生活を誰よりも早く取り戻した)、アメリカに保護されながら書いた「太平洋戦争史」には、彼らの都合の悪い事など何も描かれてなく、こんなつくり話を混ぜた似非歴史本を読んでいては、真実は学べない。