信州上田祇園祭上紺屋町自治会平成26年より29年上田の祇園祭ですが、上田の祇園祭は今から433年前、昌幸の築城の1583年(天正11)年に、地固めと民の蘇民将来(そみんしょうらい)、
疫病退散(えきびょうたいさん)、災厄払い(さいやくばらい)の福と成りえるよう始まり、いつしか祀る『祇園祭』となり、
歴史は古く世紀を超え受け継がれてきた伝統文化であります。
城下は海野町、原町などの商人町、いわゆる町方より海野町のお舟の天王山車(てんのう だし)原町からお山の天王(てんのう)が出され、
近郊の常田、房山などの村方(むらかた)では房山獅子や常田獅子、
又、保野祇園祭獅子踊りが出されたと言われています。
明治44年に東京より来た人より樽みこしを作り始め、
宮みこしは昭和10年頃より登場し、樽みこしと宮みこしが混在する祇園祭が上田の特徴です。
柳町も昭和初期には少人数ではあるが祇園祭を始めています。
当自治会も昭和29年樽みこしが復活しましたが、出場停止や参加見送り重ね、本年に至り復活より数えて62年という長きにわたる先人が継承してきた歴史・文化です。
上紺屋町の「法被」は平成6年に自作のデザインにて
上田市で最も早く作り、紺屋町は染物の町で、濃紺一色に
して八幡神社を象徴する瓦の紋様と、鳥居の額『八幡宮』
(海軍大将 東郷平八郎の書)を組み合わせ「紋章」とし、
裾(すそ)には古き家並みの、うだつ・瓦・格子戸を偲ばせる
様に模様を入れ、シンプルに洗練されたデザインにした。
鉢巻の模様も同じく統一した。