和氏璧羋月傳 40集
中国、春秋時代(紀元前770年に周が都を洛邑(成周)へ移してから、紀元前221年に秦が中国を統一するまでの時代)、楚 (そ)の国に、卞和(biàn hé)という人がいた。
ある日、彼は山の中で大変綺麗な石の原石を見つけたので、これを自国の厲王 (れいおう) に献上した。
そこで厲王 (れいおう)が、その原石を鑑定士に鑑定させたところ、『普通の石である』という答えを得たので、王を欺いた罰として卞和の左足を切らせた。
のちに武王が即位すると、今度は武王にその原石を献上するが、またもや「ただの石ころだ」という判定を下され、王を欺いた罰として今度は右足を切られた。
卞和はその原石を抱いて楚の山中に戻り、血と涙を流しながら三日三晩泣き続けたという。
武王亡き後、文王が王に即位すると、文王は人を卞和の元へ派遣して事の経緯を聞いた。話を聞いた後で、その原石を磨かせてみたところ、確かに大変美しい玉が現れたので、卞和の「和」の名前を取って、この玉を「和氏璧」=和氏 (かし) の璧 (たま) と名付けた。