満州植民地計画から敗戦・引き揚げまで様々な満州移民団の生活の様子を捉えたフィルムに目を離せない。天理教移民団の様子も珍しい。農業に成功する者も居たが、元々中国農民から強制的に安価で取り上げた土地の上での成功であったので、後に、関東軍に見捨てられ、敵国内に無防備で取り残される事となり、全ての移民団員が引揚げが始まる迄の一年間生死の間をさまよう事となる。満州全土占領政策の遂行で、行軍する日本軍の記録フィルムも注目に値。不足する兵力を、20才以下の少年達で満蒙開拓義勇軍として組織化。満蒙武装開拓団を指導した加藤莞爾が行った。訓練場は、茨城県東茨城郡内原町の"満蒙開拓青少年義勇軍内原訓練所"だった。特攻と同じく、見かけ上義勇制だったが、半ば強制的に召集された者もいた。総勢10万人・250の移民団に達した。ほぼ全てソ満国境付近に配置され、敗戦直前に、正規軍が秘密裏に南方へ撤退した為に、彼ら全員は敵陣に取り残されソ連の攻撃を最初に受け、多くの青少年が命を失った。