橋本左内 幕末の国家戦略橋本 左内(はしもと さない)は幕末の越前国福井藩士。著書に『啓発録』。嘉永2年(1849年)、大坂に出て適塾で医者の緒方洪庵・杉田成卿に師事し蘭方医学を学んだ後、水戸藩の藤田東湖・薩摩藩の西郷隆盛、梅田雲浜や横井小楠らと交流。越前・福井藩主の松平春嶽に登用され、藩医や藩校・明道館学監心得となり、一橋慶喜(徳川慶喜)擁立運動を展開。幕政改革、幕藩体制は維持した上での西欧の先進技術の導入、日本とロシアの提携の必要性を説くなど開国派。安政の大獄で小塚原刑場にて斬首。享年26。墓は吉田松陰などと共に南千住回向院。