米国の原爆による被害と人体に対する影響調査の歴史 1-2アメリカは広島・長崎の2個の原爆に飽き足らず、1946年から1958年にかけてマーシャル諸島で67回も100メガトン以上の核実験を繰り返した。ビキニ環礁で原爆の放射能による動物・人体実験を行った。特に被害が目立つのは1954年に行った水爆ブラボー(15Mt・・広島原爆の1000倍)の爆破実験で、ビキニ環礁の人々ばかりでなく、日本漁船・第五福竜丸の23人全員が被爆させられ、放射能症で入院した。船から自然界の5000倍の放射能が検出された。米国は日本政府に情報コントロールの協力を要請し、日本政府は全面協力をした。更に、アメリカは解決金としてたった200万ドル支払い、日本政府は乗組員に200万円のみ支給した。これが日米政治決着の実態で、被爆の事実さえ隠ぺいした。全くその無責任な態度にあきれる。今もご存命の大石又七さんは、今でも鮮明にその実験の様子覚えていて、このフィルムの中で証言している。ロンゲラップ島住民に関しては、1957年に安全宣言して住民を高度放射能の残る島に帰島させて人体実験を続けようとしたが、多数の人が病気になったので、住民たちは再び島を離れた。これと似たような立場にいるのが福島で被爆した人々であろう。