乞食同然の敗戦国民の命がけの引き揚げ明治時代から日本政府は邦人の海外進出を奨励してきた。それは、農村における過剰人口抑制対策であった。そして、困窮した海外移民に対し、連れ戻す方策もとっていた。それが、グアム島移民連れ戻しである。当時の国家予算の5%も使った。中国国民に移民が迷惑を掛けない様に、不良日本人の送還などの対策を講じいた。それが、中国軍事占領を契機に、腐った軍に密接な関係を持った悪質なビジネスグループ等が、様々な不良行為を拡大して行った。しかし、そんな状況下でも、海軍には、軍艦の停泊地の日本国民を保護する規定があった。(明治31年制定)。更に、中国軍事占領以前とその後での大きな違いが日清戦争・日露戦争当時の在留邦人の被害が軽微に済んでいる事で良く分かる。、敗戦後の在留邦人の受けた生命の損失を含む被害は甚大で全財産を失うばかりか、数十万人の死者を出した。これが意味するところは大きい。つまり、日清戦争・日露戦争は現地一般人にあまり迷惑を掛けない戦争であったが、中国軍事占領後は、現地人に生命の存続に関わるような略奪、殺戮(南京虐殺を始めとするアジア各地での現地人に対する残虐行為)などで、現地人から一般邦人まで怒りの刃が向けられるようになったからである。つまり、驕り高ぶりから腐ってしまった軍部が事実上全日本の統治の実権を握ってしまった為、全省庁の統治が異常な軍の意向を反映し、結果的に海外で人権侵略を平気で犯す異常な占領政策が浸透してしまったのである。