72年後の広島原爆被爆者の動体調査原爆投下時の55万人の広島の人々の動向データが可視化され、彼らか如何に何処で死に至るまでの被爆者一人一人の姿が明らかになる。1945年8月6日の朝の人々の動向を追っていくと、特定の地域で死亡率が異常に高くなる所が多々あり、新たな発見である。焼死、圧焼死、死のドーナツ地帯などのスポットである。その事実をまだご存命の被爆者が証言している。また、その熱傷の仕方に、血液が沸騰してその側の皮膚が吹き破られ、皮膚が深い部分から剥がれ落ちた例が浮かび上がってくる。これは、数千度に至った光線を浴びて起きたものらしい。原爆とは、史上最悪の人を苦しめながら授受に殺していく最悪の兵器である。死因トップの原因も、焼死、圧焼死から急性原爆症へと変わってきている。国は、原爆投下地点から2.5km以外の地域では、放射能による原爆症を認めていないが、これは国による被爆者の切り捨てである。これは、国家による故意の犯罪である。被爆者棄民政策とでも言うべきであろう。爆投下地点から2.5km以外の地域の一つ、旧己斐町では67人が急性原爆症で亡くなっている。一つの原因に黒い雨、フォールアウトが考えられる。それを裏付ける資料がある。当時その町で干されていた洗濯物から、原爆由来のセシウム137が検出された。そこで、多くの人々が無くなったことから、内部被爆によるものが大きいと考えられるらしい。日本人はもっとこのような残酷な死に方を余儀なくされた人々にもっと注意を向け、未来に生かさなくては、また、同じような悲劇に巻き込まれないようにしなければならない。