「蛍の光」には3番・4番があった4番の歌詞の「千島の奥も沖縄も」は日清日露戦争のあとは文部省によって「台湾の果ても 樺太も 」と改変されたそうです。これが昭和20年の敗戦でこれらの領土を失ったあと、歌われなくなってしまった主たる原因ではないでしょうか。もちろん日教組教育のせいでもあり-ますが。
なお、3番の「筑紫の極み、陸(みち)の奥」は4番と同じく日本の辺境という意味ではありません。江戸時代の歌学者の伝統をひく作詞者の稲垣千頴は、万葉の時代、北九州の-辺境に出征してゆく防人たちが、主として「みちのく」(東北地方)出身者であったことから、「防人の歌」には別れ別れになった夫や妻あるいは恋人どうしが相手を恋うる歌が-多いことをふまえていて、遠く離れた男女の思いも含まれていると解すべきです。