関ヶ原の戦いの島津義弘の島津家の家紋は、十字架を取り入れた「丸に十の字」=「リングアンドクロス」本国の薩摩に一万五千の兵を残し「関ヶ原の戦い」で、西軍に八百人の手勢でいた島津義弘は、ザビエル上陸直後、その島津家の家紋に十字架を取り入れた「丸に十の字」=「リングアンドクロス」にしていた……♡!それで、石田三成の西軍は、徳川家康の策により、十一万人いたのですが、ほぼ全て裏切り、東軍に付いていました。徳川家康の東軍は、七万人、それで、敗北した以上は、薩摩藩は徳川家康に取り潰されるのは確実、天下泰平の為。それで、島津義弘は、世界最強の薩摩武士団の力を、見せることにしました。八百人で、前方へ突撃して、日本最強と言われていた三河武士団を恐怖の内に逃げ惑わせて、徳川家康の眼前まで来て、島津義弘は、クールに「君が死ねば…また天下が乱れるからな……♡!」と言い渡して、去りました。徳川家康は、島津義弘を気に入り、それで薩摩藩は、残りました。