ある日系米兵の沖縄住民救出劇あるガマが普天間基地内にある。そのガマで、65年前、200人以上の現地人が一人の日系(二世)米兵によって救出されたのである。その人はハワイ在住の比嘉武二郎氏である。彼は母を亡くし、16歳でハワイに戻ってから真珠湾攻撃が起こった。彼は米陸軍情報部語学兵として、沖縄に派遣された。東条の戦陣訓を頭にたたきこまれた故郷の人達を「イチジメンソーレ」(出てきてください)と繰り返し説得した。彼は2010年、沖縄犠牲者追悼式に参加した。そして、彼が救出した人と再会した。そして、そのガマへ。 ガマに隠れていた住民達が救出される映像が印象的である。そこで、米メディアのスタッフに、「頑張って平和を築いていこう」と言うメッセージを伝えていたのが感動的である。彼は、南部戦線後を訪れた。そこで、戦争語り部達の話を聞く。そこで、住民と日本兵がガマで何が起こっていたかを知る。日本軍兵士が赤ちゃんを次々に殺していったのだった。最後に、比嘉さんは、もっと上手に説得してたらもっと救えたのでは?と自責の疑念に涙をこぼした。彼は、65年もの間、苦しんできたのであった。