47%の犠牲者が出た沖縄西原村・さとうきび畑の戦争昭和20年9月7日は沖縄にとって事実上の敗戦記念日である。その沖縄で、軍隊でも珍しい高い死亡率47%が、どうして西原町の住民にどうして起きたのか?その素朴な疑問に迫る。その主な理由の一つに、異常な召集計画だった。防衛隊員・学徒隊員の17歳から45歳までの90%の召集であった。更に、中学生から70歳までも召集計画に入っていた。俗に言う「根こそぎ動因」である。この背景には、明治時代に入って日本政府が外国であった琉球王国を滅ぼし、強制的に併合した事実から考えると、領国日本から旧琉球王国人への人種差別があったと思われる。沖縄弁を使っただけでスパイとして切り殺された事実はそれを裏付けている。言わば、沖縄人が全滅まで本土の防波堤として使用する非人道的防衛計画と言うべきであろう。では本題に戻るが、何故西原では、凄惨な民間人攻撃が米軍によって行われたのであろうか?それは、日本軍の沖縄人偽装作戦による。これにより、米軍は日本兵と一般住民との区別がつかなくなった。これが、一般住民の死亡率が高くなった主な理由である。これは、旧日本軍指導部の冷酷・残虐性を表す代表的な事例である。西原村だけで5106人も死亡させられた事実を忘れてはならない!