SAIPANで起きた住民を巻き込んだ惨劇1944年7月米軍はサイパンを占領した。 これによって、日本全土が空爆の射程圏内に「入った。 日本軍は、劣勢でも、ほかの国の兵士と違って、死ぬまで戦おうとした。 4500人もの敗残兵達が最大規模の集団自決(万歳突撃)を敢行した 一般民も、捕虜にならずに、自決する者もいた。 これは、東京の大本営本部の参謀達が、 連戦連敗の負のイメージを美しい言葉’玉砕’という言葉を使って、 悲劇を闘争心鼓舞の道具に使った実例である。 これは、日本の官僚達の冷酷非道さを示す典型的な事例である。 最近、明らかになった文書によると、軍トップ官僚達は、 戦線で劣勢になった自国兵士達を’敗残兵’と名づけていて、 ’敗残兵は生かしておくことは良くない’との意図から、 それらの兵士達を一気に消し去るために思いついた言葉が’玉砕’だった。 だから、ニューギニアやフィリピンなどの島々で、100万以上の日本兵達が、 自決・飢え死になどで無駄死にさせられたのだ。 また、無責任で狂人的な軍指導部が、 本来なら保護すべき一般人をも、 戦闘に巻き込み、戦陣訓をおしつけ、 死に追いやっていった異常性を持っていた事も忘れてはならない。 そして、そんな命令を下したほとんどの輩達が、 戦後社会を生き抜いた。その多くが自衛隊幹部に就任し、 公務員として、平穏な生活を送った。その一人が、 源田実(航空自衛隊幕僚長から自民党参議院議員に転進)であった。 こんな非人道的な連中が何も責任を取ることもなく、 戦後を平穏に置きぬいた無責任人生を、 日本国民は忘れてはならない。