ふらんすモノづくし テーブルマナー❷ 史物語~入試には使えないかもしれない歴史にまつわる様々な雑学~http://blog.livedoor.jp/yusuke1138/
入試には使えないかもしれない歴史にまつわる様々なトリビアを紹介していくシリーズです☺
【世界史の窓より】
カトリーヌ=ド=メディシス(1519-89)は、フィレンツェの富豪で政治権力を握るメディチ家の、ロレンツォ=イル=マニフィコの孫のウルビーノ公ロレンツォとフランス王フランソワ1世の従妹マドレーヌとの間で生まれた。
つまりイタリア人であるがフランス人の血もひいていた。
誕生直後に両親を失い、枢機卿ジュリオ=デ=メディチ(後の教皇クレメンス7世)の保護下にフィレンツェで育ち、イタリア戦争渦中の1529~30年のフィレンツェ包囲戦では共和国側の人質として尼僧院に幽閉された。
共和派が敗れて救出され、11歳のカトリーヌはローマに移り、教皇クレメンス7世の宮廷で華やかな生活を送った。
カトリーヌは、背が高く頑丈な身体の持ち主で、美貌ではないが、頭の回転が速い快活で精力的、知的好奇心も旺盛で古典や芸術の教養もあった。
~フランスの王妃として~
カトリーヌは「フィレンツェの商人の娘」と陰口をささやかれながら、義父フランソワ1世をはじめとするフランスの宮廷人に受け入れられ、「とりわけ、周囲の人たちを楽しくする彼女の快活な気質が、人びとの心を魅了」し、音楽や狩り、乗馬を楽しみ、イタリアの料理法で食卓を豊かにした。
しかし夫アンリは20歳年上の愛人に入り浸り、結婚生活は不幸であった。
それでも25歳から次々と7人の子どもをもうけ、この間、1547年に夫は王位についてアンリ2世となると、王妃としての立場を揺るぎないものにした。
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