門戸開放政策(もんこかいほうせいさく、Open Door Policy)とは、特定の地域において、全ての国の全ての国民に対し、等しい商業及び工業活動の機会が与えられるべきであるという主張である。日本では一般的に自由貿易政策と呼ばれることが多い。これはもともとアメリカによって進められたものであるが、アヘン戦争後の清国-アメリカ間の条約において、すでにこの方針は現れていた。門戸開放政策は、1978年からの鄧小平による中華人民共和国の経済改革方針で示された改革開放政策も、これと同等である。
上記の理由から門戸開放政策は一般的に中国と関連付けられることが多いが、もともとは1885年のベルリン会議で、コンゴ盆地においていかなる権力も特恵関税を課すことはできないと定めた経緯があり、中国に対してもそれを倣っている。
米西戦争(べいせいせんそう、英語: Spanish–American War、スペイン語: Guerra hispano-americana)は、1898年にアメリカ合衆国とスペインの間で起きた戦争である。アメリカ海軍の軍艦爆発を機にアメリカ世論の好戦ムードは高まる一方だった。スペインは自国傘下の海底ケーブルを持たなかったので通信面で不利に立たされた。スペインは敗北し、カリブ海および太平洋のスペインの旧植民地に対する管理権をアメリカが獲得した。20世紀のキューバの歴史家は1868年から独立運動を続けてきたキューバ独立軍との関係からこの戦争をスペイン・アメリカ・キューバ戦争(米西キューバ戦争)と呼び、1946年にキューバ議会はこの名称をキューバにおけるこの戦争の正式名称とすることを決議した。