信長の野望戦国立志伝 歴史イベント作成 1554年晴氏古河入部跡を継いだ北条氏康と敵対し、関東管領上杉憲政や上杉朝定と同盟を結んで、天文15年(1546年)にともに北条領へ侵攻するが、河越夜戦で大敗すると、古河公方としての力を失ってしまう。そして命は助けられたものの、天文21年(1552年)に公方の座を子の義氏に譲ることを余儀なくされた上で、天文23年(1554年)には古河城を攻められ、氏康によって相模国波多野(神奈川県秦野市)に幽閉された。
弘治3年(1557年)7月、古河城復帰を許されたが、9月には氏康によって廃された嫡男・藤氏の義氏打倒の陰謀が発覚した。晴氏は再び拘束され、栗橋城主・野田氏のもとに預けられた。のちの永禄3年(1560年)5月27日、元栗橋(茨城県五霞町)の「嶋」にて死去した[6]。享年53。