真珠湾攻撃で恋人を失ったある女性の生涯1941年12月に行なった真珠湾奇襲攻撃で、765人のパイロット達が参加した。この編では、元ゼロ戦パイロットの前田武(当時の彼の写真は映画スターかと思わせるような容姿である)さんは21歳真珠湾攻撃に参加した。彼に対するインタビューで、出撃前の宴会や上司との会話など興味深い。午前1:30に出撃した彼は、ハワイのラジオ放送で、彼等は何も気づいていないと実感したと言う。しかし、この攻撃で日本側は29機失い、55人のパイロットが帰還してこなかった。その中に、この主人公・中野みこまさんの婚約者・清水好生氏がいた。二人は、果物を買いに来た清水さんが売り子をしていた中野さんに好意を寄せ、互いに引かれていったのであるが、清水さんは半年後、空母飛竜第八分隊の飛行隊に配属され、出撃したまま帰ってこなかった。そして、ハワイに行く事になった。そして、戦艦アリゾナ記念館を訪れる。常に、「アメリカ人が憎たらしい。あんた達が殺したんじゃろう。この人を見たら憎たらしくなる。こういう服装した人たちに恋人は殺された。」という中野さんの言動に周りは当惑する。65年前の怒りがそのまま彼女の中に留まっていたのである。それが痛々しい。 この編では、中野さんが元米兵に「12月8日何をされてましたか?高射砲を撃ちましたか?」米兵の一人が、「高射砲を撃っていた」と告白し、彼は「SORRY」と謝った。すると、中野さんは、「あんたが殺したのかもね」と言ったのがショッキングだった。しかし、その後、記念館の戦死者の名簿が展示されているところや、新たな展示で戦死者の写真を見ていくうちに、中野さんの心に微妙な変化が生じてくる。展示を見て、「悲しいね。日本にはこんな物は無い」と感心した。記念館での清水さんの遺品が展示されるのを見て、ますます彼女の感情は、怒りからアイゾナ記念館の職員への感心・感謝に変化していった(アリゾナ記念館は日本兵の遺品も展示することになり、遺族に連絡して遺品集めをしていた)。ここで、彼女は清水さんとの楽しいトランプの話が出てきた。しかし、そこで、清水さん一家の驚愕の事実を知る。彼は、日系米国移民一世の息子だったのである。彼は、親戚が住むハワイ攻撃に参加したのであった。彼のハワイの姪が、身内からハワイ攻撃参加者が出た事に当惑した事を話した。最後に、中野さんは清水さんの慰霊名簿があるお寺をたずねる。日本では戦死した兵士の霊に対して、手厚い取り扱いがなされていないこおとと比較して、彼女は感銘を受けた。 この編では、まず、撃墜されて戦死した飯田房太氏の遺品が今も残されている。当時の新聞で、飯田氏の戦死を褒め称える内容であった。近所の人達の尊敬を集めていたが、敗戦後は、見向きもされなくなった。理由は、「あんなことを始めたから日本は負けたんだ」らしいが、実感する事例である。ただ命令を受けて出陣しただけの一飛行兵を責める一般民衆の民度の低さを感じさせる事例である。一方、清水さんの遺骨収集も墜落事故現場の捜索など全くされてこなかった事を知り、なんと無責任な日本政府の態度であろう。しかし、地元の日系三世研究者の協力を得て、清水さん乗っていた飛行機の一部が展示されている陸軍博物館にも足を運んだ。中野さんは、じっとその部品を眺め、「抱きしめて死にたい」と語った。そして、墜落現場のAIEA地区に足を運ぶ事となる。そこは険しい渓谷であった。機は炎上したと言う。そして、誰も清水さんの遺骨をしていないと言う。中野さんは泣きながら線香をたむけ、花束を現場にたむけた。彼女は「もう思い残す事は無い」と言った。そして、中野さんは、「最初は恨みの念しかなかったが、ハワイーでの戦死者に対する温かい取に感謝している。敵も見方も今まだ泣いているのだから戦争はしてはいけない」と言った。これは感動ものである。最後に、このドキュメンタリーフィルムは戦死者に慈しみの情を感じ取れる質の高い心温まる作品であると言える。