松永 久秀(まつなが ひさひで)は、戦国時代の大和国の
武将・戦国大名。官位を合わせた松永弾正(まつなが
だんじょう)の別名でも知られている。出身地は山城とも
播磨ともいわれる。父は不明。弟に長頼、嫡男に久通、
養子に永種(貞徳の父)。
初めは三好長慶に仕えたが、やがて三好家中で実力をつけ、
長慶の死後は三好三人衆と共に第13代将軍・足利義輝を
永禄の変で殺害し、畿内を支配した。しかし織田信長が
義輝の弟・足利義昭を奉じて上洛してくると、信長に
降伏して家臣となる。その後、信長に反逆して敗れ、
文献上では日本初となる爆死という方法で自害した。
一説には、永禄の変や、東大寺大仏殿焼失の首謀者など
とも言われる。
北条早雲・斎藤道三と並んで日本三大梟雄とも評されるが
、信貴山城近郊の人々からは、連歌や茶道に長けた
教養人であり、領国に善政を敷いた名君として、現在でも
知られている。
歴史もの大好きです。戦国IXAの内政をしつつ
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